「時代は変わりつつある」という予見と確信
マクドナルドを日本に広めた藤田田の哲学とは?
デフレ経済だった日本での生き残り戦術
【藤田田】日本のマクドナルドを作った男
藤田田(ふじた・でん)
1926年生まれ。日本マクドナルドの初代社長。
日本の食文化が西欧化していることに早くから気づいており、ハンバーガー市場を開拓していった。
バブル崩壊後、長期にわたるデフレ経済を予見しており、徹底した価格戦略を貫いた。
ここでは取り上げていませんが、日本トイザらスの創業者でもあります。
東京大学法学部に在学していた藤田は、GHQの通訳としてアルバイトをしていた。
その時に出会ったアメリカ兵(ユダヤ人)の生き方に影響を受けて、1950年 輸入雑貨店「藤田商店」を設立、実業家としての人生を歩み始めた。
ちょうど同じ年代、1954年のアメリカ。
当時52歳だった、レイ・クロックがハンバーガー店を開業した。これが「マクドナルド」である。
時は流れて・・
レイ・クロックが始めた「マクドナルド」は、日本にいた藤田も噂を耳にするほど急成長していた。
藤田商店のシカゴ支店長だった人(藤田いわく友人)が「ぜひ会ってみてはどうか?」と投げかけてきた。その友人の紹介もあり、藤田はレイ・ロックと会談することになった。
雑談を20分程度していると、運命の時が来た
「藤田さん、ビジネスというのはあなたの言う通りのことだ。あなた、日本でハンバーガー・ビジネスをやらないか?」
藤田は多少の戸惑いもありつつ
条件が1つある。米国側は命令をしないこと。
アドバイスは受けるがオーダー(命令)は受けない。
そして、日本の会社は社長の私以下、全員日本人でやっていく。
社長の私の思いどおりにやる。それが嫌なら私はやらない。
レイ・クロックは、藤田の言葉を気に入り
「ただし、私にも条件が1つある。絶対に成功させてほしい」と答えた。
さらに詳しく
当時、マクドナルドを日本で展開しようと多くの日本人実業家などがレイ・ロックを訪れました。しかし、全て断っています。レイ・ロックは彼らは商売を知らない、と言っていたそうです。藤田の才能を見抜いたと言えるかもしれませんね。
ちなみに、この時に約束した「30年後に500店舗(藤田は700店舗と約束)」は、藤田の経営手腕により無事達成されることになる。
1971年
藤田田が45歳の時、マクドナルドは銀座三越にオープンした。
ビジネス・ワンサイクル30年
- 藤田はビジネスのサイクルは30年だと考えていた
マクドナルドを始めた当時は、子どもがマクドナルドに行きたがっても親が反対するケースが多く、お店に足を運んでもらえないことも多かった。
しかし、25年後の1996年に世代が一蹴すると、親子そろってマクドナルドに行くことは普通になっており、完全に追い風となる。
もちろん、30年というサイクル以外にもハンバーガー事業を続けた理由もちゃんとある。
日本人の米の消費量が減っていることが統計データから分かっていた。これは食の欧米化が進んでいる証拠だ、と藤田は考えていたのだ。
長期戦略
藤田はこの情報をもとに長期的な戦略を実行することにした。
「20年後に成人となる子どもたちをターゲットに」
そして、藤田の展望は見事に的中した。
大人になった子どもは、自分の子どもをマクドナルドに連れていくようになったのだ。
デフレの日本を予見した藤田
バブル崩壊後には、土地の値段が下落を続き、資産のデフレが止まらなかった。
さらに、日本の人口は減っており、今後の経済成長について息詰まることを予見していた藤田は、日本が変則的なデフレーション経済に突入していると考えていた。
デフレというのは物価が安くなる状態。もっと正確に言えば、お金の価値が高くなっていく状態。インフレは逆に物価が上昇して、お金の価値が下がっていく状態。
お金の価値が高くなっていくので、消費者の財布のひもは固くなり、100円の出費も惜しむようになる。藤田が予測したバブル崩壊後の日本である。
デフレ経済は長期化すると考えていた藤田は、徹底的な価格戦略を取ることにした。
この考えは、1996年に出版された「勝てば官軍(新装版)」で書かれていたものです。
ハンバーガー1個210円が130円に
藤田の徹底した低価格戦略は大成功した。
1994年 クリスマス企画 ハンバーガー100円
1995年 ハンバーガー130円へ
1996年 期間限定 ハンバーガー80円
1997年 年間売上3000億円を達成。これは外食産業では史上初めての快挙である。
1997年と言えば、山一證券・北海道拓殖銀行などが経営破綻したことで有名。この時の藤田は71歳であった。
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藤田田のビジネス哲学
「世の中で金と女は仇(かたき)なり。早く仇にめぐりあいたい」という戯れ歌があるが、その通り、みんな「早く仇にめぐりあいたい」のである。
ともなれば、「きれいな金」「汚い金」といった金銭観はすぐさまきれいさっぱり捨ててしまうことだ。
捨ててしまって、金儲けは人生の最重事項だと心得ることだ。
金儲けにイデオロギーはいらないのである。
(勝てば官軍(新装版)より)
ビジネスマンが数字に強いのは当然のこと
「今日はバカ熱い」とか「少し寒い」などと曖昧なことを言っていては、成功はおぼつかない。
- 水が1番おいしいのは4度
- 食べ物が1番おいしいのは62度
たた漠然と「おいしい」「まずい」とか言っているようではダメだと藤田は考えていた。
それほど数字を大切にする人物だったことが分かるかと思います。
ビジネスのサイクル
途中で紹介しましたが、藤田は「ビジネスのサイクルは30年」だと考えていました。
次の時代はコンピュータが躍進することに気づいていた藤田は、ある少年にコンピュータを勉強するように勧めます。
その少年こそ、当時17歳だった「孫正義」です。
孫は、藤田の言葉通りアメリカでコンピュータを学んだ。帰国後にソフトバンクを立ち上げる。
ハンバーガー事業に注力していた藤田でしたが、将来はコンピューターの時代が来ることを理解していました。
藤田は、ネット社会の特徴を1990年代に予見していました。
時間と空間が限りなくゼロになり、情報は瞬時にして世界中に行き渡るインターネットの時代とあっては、いかなる仕事であれ時間短縮が重要課題となってきたのである。
驚くほどドンピシャです。
藤田のこうした将来を鋭く予見できる力は、日ごろから情報収集に余念がないからです。
ポイント
ビジネスでは30年先を見据えるのが重要だと考えていた藤田は、社会情勢がどんな風に変化しているかを常に意識していました。
その過程で、数字のデータを見て客観的な分析も必要だという事です。
30年という単位は、藤田の著書や発言にしばしば登場します。それだけ長期的な視点をもってビジネスに向き合ってきた証なのかもしれません。
更に
長期的にビジネスを行うときに意識すべきことも述べています。
短時間に大きいことをやろうと焦るよりも、時間をかけて大きいことを成すべきである
ビジネスには満塁ホームランはない
言葉から分かるかと思いますが、ビジネスで成功するためには「時間×努力」が重要だと藤田は考えていました。
一振りで満塁ホームランを狙っても失敗します。一歩一歩の積み重ねが重要なのです。
まとめ
- 金に汚いも綺麗もない、金儲けは重要なこと
- 数字を意識する
- 30年先を見据えたビジネスが大切
- 短期的な利益を求めずコツコツと積み重ねる
この記事は、こちらの本を参考にしています。
⇒ 勝てば官軍(新装版)
不景気は商売がうまくいかない原因ではなく、平等に与えられた条件にすぎない。