成功すれば、人は自分の考えに関心を示してくれるはず。
投資家と言えば、株式投資家を思い浮かべる人が多いでしょう。バフェットやピーター・リンチなども株式投資家です。
しかし、株式市場と同じくらいニュースで見かける市場があるのを忘れていませんか?
為替市場
イングランド銀行を潰した男という異名を持つ「ジョージ・ソロス」が主戦場としていたのもこの市場。
そんな為替界のレジェンドであるジョージ・ソロスから投資投機哲学を学びましょう!
ジョージ・ソロスの経歴
ジョージ・ソロス (Wikipediaより)
ジョージ・ソロスは、1930年8月12日にハンガリー(首都のブダペスト)で生まれました。
彼が14歳になった1945年、第二次世界大戦の戦場と化したハンガリーでは、ナチスやソ連軍の虐殺が繰り広げられます。そんな現実を目の当たりにしたジョージ・ソロスは、ハンガリーから脱出することを決意。
戦禍に襲われるハンガリーではハイパーインフレーションが引き起り、ジョージソロスは初めて通貨(為替)取引を行います。
1947年
イギリスに逃れたソロスは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に入学。
「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス」は経済学の世界最高峰の大学です (ノーベル経済学賞の受賞者を13人輩出)。
1952年に大学を卒業したジョージ・ソロスは、4年間通常の会社で働きます。
迎えた1956年、兼ねての夢であった「哲学者」として生活していくために、資産を稼ぐためにアメリカ、金融の中心地ウォール街へ。
成功すれば、人は自分の考えに関心を示してくれるはず。
冒頭のこのセリフは、闘いの舞台をアメリカへ移した時の心の声なのでしょう。哲学者を目指すのだから自分の考えを広く知ってほしいと思うのは自然なのかもしれません。
その後
論文の執筆などに時間を費やします。
1969年、世界的な投資家ジム・ロジャーズと共に「クォンタム・ファンド」という投資ファンドを設立。「クォンタム・ファンド」は、設立から順調に利益を出し続けました。
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そして、ここからジョージ・ソロスの伝説が始まるのです。
ジョージ・ソロスの伝説① 1985年プラザ合意
1980年代のアメリカでは、ドル高が経済の足を引っ張ていた
この異常なドル高に目を付けていたジョージ・ソロスは「ドルは暴落し、一気にドル安に進む」と考えて準備を進めた。
このソロスの読みは見事に的中する。
迎えた1985年9月22日、ジョージ・ソロスが予想していた通り、異常なドル高に耐えられなくなったアメリカは、ニューヨークのプラザホテルで「5か国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議」を開いた。
会議の結果
アメリカは主要国(イギリス・フランス・西ドイツ・日本)へ為替介入をするよう指示を出して、すぐさま合意(プラザ合意)へ。
ココがポイント
プラザ合意の結果ドル安・円高に移行する。合意後1日で「1ドル=235円」から「1ドル=215円へ下落」。1年後には1ドル=150円台へ。
プラザ合意の結果
ジョージ・ソロスは30億円以上の利益をたたき出した。
最終的には250億円近い利益が生み出される結果となったのである。
ジョージ・ソロスの伝説② 1992年ポンド危機
アメリカの次は1990年代のイギリス。なんとGDPの成長率は驚異の0%台
さらにイギリス経済が停滞している中でも、英政府は「為替レートは動かさない!」と言い続けていました。
さらに詳しく
仮に日本が不景気なら、外国へモノを売れるように円安になるような政策をします。イギリス政府は「そんな政策はしません」と言い続けていたのです。
ジョージ・ソロスは、イギリス経済の低迷が続くなか、ポンド高が維持されていることに目を付けました。おまけに「イギリス政府が為替政策をしない」という現状は、ソロスを突き動かします。
迎えた1992年9月13日、ジョージ・ソロスの英ポンド売りが始まる。
100億英ポンド、日本円で約7700億円以上のポンドを売りまくったのです。
イギリス政府も黙っていませんでした。イングランド銀行(日本だと日本銀行)が日本円で3兆円以上のポンド買いを行います。
しかし
時すでに遅し。他の投資家やファンドがジョージ・ソロスへ続いてポンドを売りまくったため、ポンドの価値が下落。
ポンド危機へ
1992年9月16日、ポンド危機(ブラック・ウエンズデイ)によりポンドは暴落しました。最終的に、ソロスは日本円で2000億円以上の利益を得たと言われています。
ポンド危機の結果、イギリスは為替を一定幅で固定する「欧州為替相場メカニズム」から離脱を余儀なくされ、翌9月17日に英ポンドは変動相場制へ移行した。
伝説へ
この「ジョージ・ソロス VS イギリス(イングランド銀行)」の勝負に勝ったソロスは「イングランド銀行を潰した男」という異名を付けられることになったのです。
ちなみに、ポンド危機の年にソロスは62歳になっています。
ジョージ・ソロスの伝説③ 1997年アジア通貨危機
アメリカ・ヨーロッパと闘いの舞台を移してきたソロスだが、ついにアジアでも伝説を残す。
1990年以降のアジアの特徴は次の通りです
- 投資熱が高まっていた
- 通貨高の状態
さらに詳しく
アジアの国々は、ドルと自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していた。この時のアメリカのドル高政策の影響を受けてアジア各国も通貨高だった。
これまでのドル高・ポンド高と同じ状態がアジアで引き起っていたことに目を付けたソロスは、1997年に「クォンタム・ファンド」を率いて、売り仕掛けを行います。
その標的になったのが「タイ・バーツ」です。
(Wikipediaより・タイバーツ紙幣)
当時「1ドル=24.5タイバーツ」でしたが、半年後には「1ドル=50タイバーツ」、1年後には「1ドル=207.31タバーツ」まで下落しました。
そして
このタイバーツの暴落は歴史的な通貨危機へ発展します。
アジア通貨危機へ
問題はタイ王国以外にも波及し、マレーシア・インドネシア・フィリピン・香港・韓国でも通貨危機が発生しました。
この一連の通貨危機をアジア通貨危機と呼びます。アジア通貨危機の結果、タイ王国・インドネシア・韓国は国際通貨基金(IMF)の管理下に入りました。
参考
日本でもアジア地域への融資が焦げ付きました。さらに、1997年10月23日に日本長期信用銀行が破綻しています。
その後もアジア通貨危機は広がりを見せました。
- 1998年ロシア通貨危機
- 1999年ブラジル通貨危機
こうして、ジョージ・ソロスは為替取引により世界経済を震撼させることになったのです。
ソロスは国を相手取ったトレードが多く、国際的な為替市場のゆがみを狙ったトレードから、自身を「国境なき政治家("stateless statesman")」と自称しています。
ジョージ・ソロスの投機哲学は?
「市場は常に間違っている」
彼の投資哲学をまとめると、この一言ではないでしょうか?
「市場は常に間違っている」というのは私の強い信念である。
市場参加者の価値判断は常に偏っており、支配的なバイアスは価格に影響を与える。
私が確かに人より優れている点は、私が間違いを認められるところです。それが私の成功の秘密なのです。
プラザ合意・ポンド危機・アジア通貨危機などの巨万の富を得た場面で、ジョージ・ソロスが共通していたのが「市場の歪み(間違い)」を見つたことでした。
一国の経済状況と実際の為替相場がズレていることをしっかりと見極めた結果、彼は成功しています。
したがって「市場の間違い」を見つけることが彼の投機哲学そのものだと私は考えています。(異論は大いにありそうですが・・)
注目!
この「市場は常に間違っている」という考え方は非常に面白いです。
何故なら、今から100年前に活躍した伝説の相場師ジェシー・リバモアは、全く逆の言葉を残しているからです。
市場はつねに絶対的に正しい。
それに対し人間はしばしば誤った予想を抱き、進む道を誤る。
By ジェシー・リバモア
ジェシー・リバモアは、「ウォール街信用危機(コールローン破局)」や「世界恐慌」で莫大な富を気づいた伝説の相場師です。「ウォール街のグレートベア」という異名を持っています。
詳しくはこちらで確認!
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【ジェシー・リバモア】世紀の相場師から学ぶ投資哲学と教訓
俺の人生は失敗だった。 約100年前に活躍した「ジェシー・リバモア」 1929年の世界恐慌で ...
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ジョージ・ソロスもジェシー・リバモアも世界的なトレーダーですが、マーケットに対す考え方が真逆というは面白いですね!
そして、ジョージ・ソロスの投機哲学で注目したいことがあります。
私の実践的スキルを要約せよ、と求められたなら、ただひとこと「サバイバル」と答えるだろう。まず生き残れ。儲けるのはそれからだ。
まず投資し、そして後に調査しろ。
2つの言葉から言えることは「死ぬな、そして行動しろ(やってみろ)」です。
ポイント
こんな感じで、「とりあえず死なない程度にやってみろ!」というのが彼の主軸の考え方なのかもしれません。
ジョージ・ソロスの名言
もしも、投資が面白く楽しいならば、あなたはお金を生み出すことは出来ない。
良い投資というのは、退屈なものだ。
状況が悪くなればなるほど、ひっくり返すのは簡単になり、儲けも大きくなる。
事実、うまくいった投資は錬金術の一種である。
法律はビジネスになった。
健康衛生はビジネスになった。
残念だが、政治もビジネスになった。
なので、いつのまにか社会を傷つけてしまっている。
抑制のない競争は、人々を後悔させるまで突っ走らせることになる。
市場は、常に不確定で流動的な状態にある。
明らかなものを割り引いて、予想外なことに賭けることで、金は生み出される。
私の実践的スキルを要約せよ、と求められたなら、ただひとこと「サバイバル」と答えるだろう。
まず生き残れ。儲けるのはそれからだ。