俺の人生は失敗だった。
約100年前に活躍した「ジェシー・リバモア」
彼は「伝説の相場師(世紀の相場師)」「ウォール街のグレートベア」の異名を持つ、相場師のレジェンド。
1929年の世界恐慌では「世紀の空売り」と言われるほどの売り仕掛けをして富を築きました。
世界恐慌で儲けた投資家と言えば、世間的には「靴磨きの少年で有名なケネディ大統領の父親」が有名ですが、投資家の間では「ジェシー・リバモア 」の名前は必ず挙がります。
「お金・市場の哲学」「人生の教訓」に富んだ彼の人生は、投資をしている人、人生哲学やお金の哲学を知りたい人にとってどれほど参考になるのか、言うまでもないでしょう。
「ジェシー・リバモア」の生涯
彼はアメリカ合衆国・マサチューセッツ州の生まれ。実家は農家。
【1891年~1899年】 突撃小僧と1回目の破産
リバモアが14歳のとき、家出をきっかけに彼は相場師への道を歩み始める。
日銭を稼ぐためにチョーク・ボーイとして働き始めた彼は、14歳で相場に足を入れ始めたのだ。
チョークボーイとは株価を黒板に書き写す人のこと。昔はその情報をもとに多くの人が株式の売買を行っていた。
16歳になると、自ら取引を始めるようになった。
幼さを残しつつ、年齢にふさわしくない金額を掛けるので、ついたあだ名は「突撃小僧」である。
1897年
時は流れ、彼は20歳になるころにニューヨーク証券取引所に挑んだ。
6カ月懸命に相場に挑んだ結果、彼はすべてを失った。
重要な視点
彼は市場に対して怒りをぶつけるということは決してなかった。生命も感情もない相手に怒ってみても何の意味もない。
この時のリバモアは、既に相場への本質を見抜いていた。
「株価が変動する姿のみに集中せよ。変動に理由に気を取られるな」
「休みなく相場を相手に勝負し、勝ち続けるのは不可能であり、またそうすべきではない」
20歳にしてリバモアは相場が何なのかを既に理解していたのだろう。
【1900年~1906年】結婚と破産、そして再起
1900年、リバモアは1回目の結婚をした。
20世紀に入った1901年、相場は熱狂していた。
当初は上昇トレンドに乗って利益を出したリバモアだったが、相場が崩れるのを待ち、売りの仕掛けをするタイミングを計った。
相場が崩れるタイミングは見事に的中させたが、上手く取引を約定させることが出来ずに2度目の破産。
この破産をきっかけに別居が始まる。
ここに至るまで、彼は株式取引について基本的な法則を理解していた。
間違いを犯した場合、否定しようのない事態が持ち上がる。金を失うということである。
1906年、相場師の感か、それとも株価の動きから読み取ったのかは分からないが、地震を予知したリバモア。
地震発生から3日目。相場が崩れ始めた。その暴落に乗ったリバモアは富を築いた。
その勢いは1907年まで続く。
リバモアは30歳になっていた。この年に遭遇する運命を彼はまだ知らなかっただろう。
【1907年~1918年】絶頂の成功と3度目の破産
20世紀に入り過熱を続けていた株式市場は、ついに終焉を迎える。
1907年10月 ウォール街は信用危機に陥った。(コールローンの破局)
(Wikipediaより)
この恐慌により、ニューヨーク証券取引所では現金化を求める人々が殺到して閉鎖の危機に陥った。更に、ニューヨーク市も破産危機が到来して大騒ぎになっている。
(Wikipediaより)
1907年初頭より株価の下落が開始しているのが分かる。1907年11月15日に底値53ドルを記録した。
この金融危機に対して、JPモルガンにアメリカ株式市場の救済を依頼されたリバモア。
アメリカ金融市場の行く末は、リバモアの決断に委ねられたが、彼は愛国心を示した。
彼が売り仕掛けを続ければアメリカ金融市場は崩壊していたが、売りを止めて買いに転じたのであった。
彼は時の人となり莫大な利益を得た。
しかし、これに満足せずに、1908年 商品市場に参戦した。
彼の手に余る事態、収拾不能な事態というのは、これまで気づかなかったが、実は「絶頂的成功」だったのだ。
そして彼は、成功というものも失敗同様、極めて扱いの難しい相手だ、いずれも人を破滅に追い込む破壊的力を秘めている、という心理を学んだ。
1908年 コットン市場での失敗を機に、リバモアは3度目の破産を迎えた。
その後、彼は再度ゼロからのスタートとなるが伝説は続く。
1917年
第一次世界大戦さなかのアメリカがドイツに対して宣戦布告したのを機に、株式市場は下落。この下落に乗ったリバモアは完全復活。
完全復活したリバモアには、新たな恋人ができた。
その恋人の結婚のため、別居中だった妻とは離婚、1918年 新恋人(ドロシー)と婚約を果たした。
この時に結婚した相手こそ、彼の人生においてとてつもなく重要な人となる。
【1929年】「世紀の空売り」と失楽の始まり
ドロシーと結婚して以降、子どもにも恵まれて、家庭生活・相場師生活ともに良好な日々を過ごした。
1920年代は、リバモアにとっては間違いなく幸せな時代だっただろう。
迎えた1929年、彼は「世紀の空売り」を仕掛ける。
1929年10月24日 木曜日。この日は「ブラックサーズデイ」と言われている (世界恐慌の始まりの日)。
10月29日火曜日、下落が続くアメリカ市場で、ポジションの半分を解消したリバモア。
世界恐慌の中で、ジェシーリバモアは「ウォール街のグレートベア」としての存在を確立したのであった。
そして、この日を境に彼の人生は転落することになる。
【1930年~1940年】死神到来と失敗した人生
世界恐慌で莫大な利益を得たものの、情緒的な不安定に襲われたリバモアは、抑うつ症に悩んでいた。
何故、世紀の成功を収めてそんな状態になるのか?
それは彼にしか分からないが、世界恐慌で人々が不幸になる中で、自分が利益を出すことに何かを感じたのかもしれない。こればかしは分からない。
その影響からか、夜の遊びが噂になって妻ドロシーとの関係に亀裂が走る。
余談
これは私の勝手な解釈だが、妻ドロシーはリバモアとは正反対の明るい性格の持ち主だった。
1920年代の彼の成功は、彼女との関係性にもよい影響を受けていたのではないだろうか?
1930年代からの転落は、リバモアの精神的な支柱を自分の不貞行為でぶっ壊してしまったことが原因だと私は解釈している。
そして1931年、リバモアとドロシーは離婚。ここから、リバモアの転落が加速する。
1933年に別の女性と再婚するも、1934年に自身4度目の破産。
1935年、元妻だったドロシーが息子を銃で撃つ。
これ以上頑張ることが出来ない。もうだめだ。
1940年、彼は右耳の後ろに銃口をあてがうと、引き金を引いた。
リバモアの投資手法と投資哲学
彼の投資手法は、年代ごとに大きく分けて2つに分けられる と私は考えています。
10代~20代ころは、短期売買を繰り返してきました。現在では「スキャルピング」と呼ばれる手法。
しかし
1901年の1度目の破産を期に、トレードスタイルが変化して「中短期投資とファンダメンタルズを併せた」独自のトレードを繰り返すように。(トレンドフォロー型に近い)
彼のトレードスタイルで一番の特徴は「トレンドに従う」ということ。
彼はこんなことを言っている。
相場全体、個々の銘柄、いずれについても、トレンドを確認する。
相場全体の流れが思惑と逆の方向に動いている場合、状況は極端に不利である。
「潮目をみて、流れに逆らわず、逆風下には船を出すな」ということわざを忘れてはいけない。
リバモアを知るうえでもう一つ重要なのが、彼の投資哲学。
- 相場はどんな時も正しい
- 期待、あるいは予想してはならない
- すべての情報を排除する
- 自分なりの投資手法に従うこと
- もっとも重要なことは感情を制御すること
- タイムイズマネーは相場の世界では成り立たない
- 忍耐、我慢、自制こそ成功のカギである
- 無知を警戒せよ
- 学習、研究をしっかりおこなうこと
彼の相場に対する姿勢は常に同じです。
相場は絶対的に正しいということ。
彼の投資哲学は、相場が必ず正しいという前提で成り立っています。
自分の想定と違う動きが始まったら完全な判断ミスだと認めるような謙虚さ。
そのミスから何かを学ぼうとする勤勉さが重要。
更に「相場は大衆心理で動いており周期的な動きをする」とリバモアは考えています
わたしは、人生のサイクルにしろ相場の周期性にしろ、サイクルというものを信じている。
こうした原理で動く相場で勝つためには、時には忍耐強さ、他人の意見を排除して単独行動を貫くことが必須だと言っています。
特にリバモアは「待つこと」の重要性を説く投資家です。
そうした背景には、相場に流れ(周期性)があると考えているからもしれません。
感情の抑制・冷静な観察力・適切なタイミングを待つことができる忍耐力・自分のルールを貫く力。
現在でも世界中の投資家が、ジェシーリバモアを慕う理由は「彼の相場への向き合い方」が投資哲学そのものだからでしょうか?
投資手法や投資哲学をリバモアから学ぼうとする人も多いですが、彼が人々の心に刺さる理由はもう一つあります。
莫大な富を得ながらも自殺した彼の人生から、世界中の投資家が「何かを学び、何かを感じ取った」のです。
あなたはジェシーリバモアの人生から、何を学び、どんなことを感じ取りましたか?
ウォール街に、あるいは株式投資・投機に新しいものは何もない。
ここで過去に起こったことは、これからもいく度となく繰り返されるだろう。
この繰り返しも、人間の本性が変わらないからだ。人間の知性を邪魔するのはつねに、人間の情緒であり情動である。
わたしは以上のことを確信する。
ジェシー・リバモアの相場の格言
トレーダーの相場に挑む態度はプロのビリヤードプレーヤーと同じ。
目先の1ショットではなく、はるか全体を見渡してプレーするのだ。どのポジションをとるかを考えながらプレーするのはプロにとって習性だ。
痛い目にあったのはいつも、「自分の判断が正しいと自信を持ってゲームに臨める時にしか相場に入らない」という原則を守ることができない時だった。
誤った時にすべきことはただ1つ、改めることだ。
「株式市場はいつの世も変わらない」。
株式市場で変化するのは、そこに出入りする顔ぶれだけである。
新規参入者は、自分が参入する以前の相場を知らない。
1907年の暴落も、1929年の大恐慌も、自らの金を賭して経験しなければ、知らないのと同じだ。新参者にとっては初めての出来事でも、相場自体は周期的に動いている。
株式市場の方向を決めるのは、理性などではなく、感情や気持ちの持ちようだと私は信じている。
人生の転機となるのが恋愛、結婚、子ども、戦争、セックス、犯罪、情熱、宗教などであるように、理性に導かれて人が動くことはめったにない。
しかしこれは、企業の業績、世界情勢、政治経済、技術革新といった要素が株価に何の影響も与えないということではない。
株式市場全体の上昇や下落、個々の銘柄の値動きはこうした要素の影響を受ける。
しかし、それ以上に大きな影響力をもつのが市場参加者全体の心理なのである。
株式市場は本来的に、大部分の人間の思惑を、大部分のケースについて、粉砕する働きを持っているのだ。
投機家の最大の敵は自分の中にいる。
人間の本性として、人は希望と恐れとは無縁ではいられない。自分の知る世界に専念せよ。
こちらの本を参考にしています